鳥取家庭裁判所 昭和35年(家)117号 審判 1960年3月05日
申立人 山中節男(仮名)
相手方 山中富子(仮名)
主文
本件申立を却下する。
理由
申立人は、「相手方は申立人の肩書住所において円満な夫婦同居生活を営むこと。」との申立をなし、その実情の要旨として、双方は、昭和二三年一月挙式のうえ昭和二四年一月二六日届出をして婚姻したが、相手方より離婚調停申立があり、昭和三三年二月一四日「申立人の父は相手方に対し、田二反二畝一〇歩、畑五畝二七歩、山林四反八畝一一歩を贈与することとし、相手方は申立人宅に帰り互に協力し円満な家庭生活を営むこと」との調停が成立したものの、相手方は同年四月再び申立人宅を立ち去つて相手方の実家に帰つたので、申立の趣旨の審判を求める、旨述べた。
相手方は、申立人の飲酒癖甚しく相手方に対する暴行が激しいので、申立人の本件申立に応じ難く、むしろ申立人と離婚したい旨述べた。
調査の結果によれば、次の事実が認められる。申立人は、八頭郡○○町において農業を営む山中国男の長男として出生し、同地の小学校高等科を卒業後昭和二〇年一月出征し同年復員したもので、相手方は同町において農業を営む川村熊吉の長女として出生し同地の小学校高等科を卒業したものであつて、双方は、昭和二三年一月○日挙式のうえ申立人方に同居、昭和二四年一月○○日婚姻届をし、双方間に二男二女をもうけたが、申立人の飲酒癖は、昭和二九年七月頃長男を交通事故で失つてから頓に激しくなり、ために昭和三二年一〇月頃既に実家に帰つていた相手方の離婚調停申立となり、申立人の述べたとおりの調停が翌三三年二月一四日成立(昭和三二年(家イ)第一五一号)した。しかしながら、双方は一応同居するようになつたものの、感情の融和を復し難く、申立人の酒量は増すばかりで相手方に対する暴行もその度を加え、相手方は昭和三三年一一月○日再び子供三人を連れて肩書地の実家に帰つた。
以上の事実が認められる。
接ずるに、本件当事者間の葛藤は、申立人の意思薄弱な性格と極度の飲酒癖に基因するもので、このことは申立人自らの認めるところであるのみならず、申立人の実父も昭和三四年七月○○日当庁に、申立人の準禁産宣告を申し立てている程であつて、申立人自身がこの点に思を至し深く省みて自らを改めなければ、到底軋轢を解消できないこと明白である。相手方が申立人との同居を拒むについて正当な事由があると認められるので、本件申立は之を認容するに由なく、却下せざるをえない。
よつて主文のとおり審判する。
(家事審判官 深谷真也)